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ひらつか歴史紀 第9回 「平塚」の伝説的女性竏秩u大磯」の虎とその周辺 その2

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第9回 「平塚」の伝説的女性竏秩u大磯」の虎とその周辺 その2


  前回は「大磯」の虎について、『曽我物語』の概要と『吾妻鏡』にあらわれる彼女をみました。

  ところで、『曽我物語』は箱根と強い関係があることが指摘されています。五郎は箱根に修業に出され、仇討の直前にも兄弟は箱根を訪れ箱根権現の別当にいとまごいをします。また、兄弟の死後、虎は箱根で出家します。なぜなのでしょうか。
  元箱根石仏・石塔群にうかがえるように、中世の箱根は死者の霊魂が集まる地蔵信仰の聖地でした。また、『新編相模国風土記稿』の元箱根の荒湯駒形権現の項には「往古箱根の地、箱根派修験比丘尼等、凡そ六百軒余住居せし頃、彼輩遙拝の為、地主駒形権現を勧請せしと伝ふ」とあり、箱根には「箱根派修験比丘尼」といわれる女性宗教者が多くいたことが伝えられています。彼女たちは死霊が集まる箱根で死者の霊を口寄せし、慰める霊能者であったと考えられています。つまり、仇討に横死した曽我兄弟の霊を慰め、鎮魂したのが彼女たちであり、その口寄せから発せられた兄弟の物語が『曽我物語』の原型になったと考えられるのです。それゆえに『曽我物語』は兄弟の死の直前にもっとも重点が置かれていると考えられます。
 そして、虎こそ、兄弟に代わって口寄せで彼らの思いを語る「箱根派修験比丘尼」が投影された姿と考えられないでしょうか。前回にみた『吾妻鏡』に現れる虎は6月18日に「箱根山別当行実坊において仏事を修」し、「葦毛の馬一疋を引き、唱導の施物となす」とされていますが、『新編相模国風土記稿』によればこの日は駒形権現社の例祭日にあたります。『曽我物語』と箱根の強い関係もここに由来すると思われます。
 そうであるならば、なぜ、虎は「箱根」ではなく「大磯」の虎とされているのでしょうか。この疑問を解く鍵は「箱根権現縁起」にあります。「箱根権現縁起」は次のような内容となっております。(『山北町文化財調査報告書 箱根権現縁起絵巻』参照)
 ①天竺斯羅奈国の大臣源中将は女子を授かり常在御前と名づける。常在五歳の時、母が亡くなり中将は後妻を迎えて女子が生まれ霊鷲御前と名づける。
 ②継母は中将が都に行った留守に二度も常在を殺そうとするが、亡母の守護と霊鷲の助けにより命が助かる。継母が三度目に常在を殺そうと生き埋めにしようとしたところ、霊鷲は常在に檜の切端と小刀を与えて道々木屑を削り落していくように教え、削り屑を辿って常在のいる穴にいたる。折から狩に来た波羅奈国の王子兄弟が常在を助け上げ、霊鷲とともに本国に伴い姉妹は兄弟の妃になる。
 ③都から帰った中将は修行者となって姉妹の行方を尋ね、ある古御堂で仏の示現により姉妹に巡り合う。
 ④継母が大蛇となって波羅奈国へ渡ろうとするので常在・霊鷲は仏法流布の日本を目指し、相模国大磯に着く。大磯に一泊の後、常在は伊豆山大権現となり、霊鷲は箱根大権現となった。父中将は三島大明神となった。
 ここからは、箱根・伊豆山・三島の三社の神は、元来、インドから渡来し、大磯に漂着した神々であったことがわかります。つまり、箱根と大磯は宗教的に深い結びつきがあったということがわかります。また、大磯の善福寺には地蔵のある岩窟があり、中世の大磯も箱根と同じような地蔵信仰の場で修験比丘尼がいた可能性があります。箱根と大磯の修験比丘尼のネットワークのなかで『曽我物語』が生まれ、箱根と大磯との宗教的な深いつながりから虎は「大磯」の虎とされたのではないでしょうか。そして、その虎が平塚出身とされていることにも意味があるのかもしれません。先述した善福寺の開山の了源は、もとは平塚を領し花水に住居した武士で、曽我十郎と虎の間の子であったという伝承もあります(『新編相模国風土記稿』大磯宿の善福寺の項)。大磯と平塚の間にも深い宗教的なつながりがあり、それが虎を平塚出身とする設定に結びついたのかもしれませんが、実態は不明といわざるをえません。
 さて、以上で述べた通りとするならば、『吾妻鏡』に現れた虎とは何だったのでしょうか。これまで平塚の伝説的女性のうち虎は鎌倉幕府が編さんした『吾妻鏡』に現れることから最も実在の可能性が高い、と述べてきました。しかし、『吾妻鏡』の成立は13世紀末から14世紀初頭といわれ、曽我兄弟の仇討事件が起きてから百年近くたっています。そして、『吾妻鏡』に現れた虎の記述は、その編さんにあたり、すでに東国に流布していた箱根山の伝承(『曽我物語』の原型)が典拠にされた可能性が指摘されています。第7回で伝説にはそれが語られる地域性が刻まれていると書きました。虎も中世大磯・平塚周辺の宗教的な地域的特質が虎という女性として人格化されたものなのかもしれません。

【参考文献】
 福田晃「曽我語りの発生(上)」(『立命館文学』329・330号 1972年)
 
福田晃「曽我語りの発生(中)」(『立命館文学』331縲鰀333号 1973年)
  福田晃「曽我語りの発生(下)」(『立命館文学』373・374号 1976年)
 『大磯町史』6巻 2004年

 『虎女と曽我兄弟 報告書』(ふるさと歴史シンポジウム実行委員会 2005年)


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