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鍋と釜

食の民具たち 平成16年冬季特別展 (4 鍋と釜)

鍋と釜

図録 平成16年1月発行

 大震災が起き、電気もガスも水道も寸断されてしまったら、私たちは何よりも飲み水を必要とします。川が汚染された今日、飲み水の確保に最も苦労するのではないでしょうか。そして、米と味噌、煮炊きする鍋釜と燃す物があれば、当面は凌ぐことができます。水と燃料は生きる基本です。
 平塚ではカマドのことをヘッツイと呼びました。かつて、ご飯はヘッツイに鉄釜を据え、藁や大麦のカラ、桑、薩摩芋、落花生など作物のカラ(茎)、それにソダなどを燃料にして炊きました。釜や茶釜は湯沸かしにも用い、味噌用の大豆は大竈に大釜を据えて煮ました。薩摩芋や赤飯や団子を蒸すには釜の上に曲物のハヤブカシをのせ、餅搗き用の糯米など大量に蒸すときは大釜の上に四角い蒸籠をのせる家もありました。
 囲炉裏は家の中心であり、一家団欒の場所でした。囲炉裏に唾を吐いてはいけないとか、囲炉裏の中央に下がる自在かぎをオカギ様と呼んで敬ったり、自在かぎの高さを調節する横木にが彫られていれば頭を北向にしてはいけないとか、同じく鉄瓶の口を北向にしてはいけないなど、囲炉裏には数々の俗信が伴っています。古くは囲炉裏が家の中で最も神聖で大切な場所であり、それは火の信仰から生まれたのではないかと思われます。
 自在かぎには鉄瓶を吊して湯を沸かしたり、鉄鍋を吊して汁物を調理しました。鍋には深めの汁鍋や浅めの焼き鍋などがあり、お粥には土鍋や行平を用いました。囲炉裏の内部には、五徳、鉄器、火箸、十能などが置いてありました。五徳は鍋釜や鉄瓶をかけ、鉄器は餅を焼いたり物を暖めたりし、火箸は燃し木を挟んで動かして火加減を調節し、十能は熾や炭をのせて移動する道具です。火消し壺は熾火を入れて蓋をし、消し炭にする容器で、炭や消し炭は炭籠に入れて持ち運びました。自在かぎの上部には麦カラを束ねた弁慶を吊し、串刺しの鮎や鮒を刺して薫製にし、正月の昆布巻きなどにしました。
 関東大震災以後は、囲炉裏をやめて置き火鉢や長火鉢に替える家が多くなりました。長火鉢には、湯沸かしと五徳が一体になった銅壺をのせ、灰掻きや鉄瓶、火箸も総じて囲炉裏時代より小型化した道具を用いました。魚や餅を焼くには、七輪も盛んに用いられました。

煮炊き(にたき) 鍋釜(なべかま) 凌ぐ(しのぐ) 鉄釜(てつがま) 据え(すえ) 藁(わら) 桑(くわ) 薩摩芋(さつまいも) 落花生(らっかせい) 茶釜(ちゃがま) 竈(かまど) 大釜(おおがま) 曲物(まげもの) 糯米(もちごめ) 蒸籠(せいろ)  囲炉裏(いろり) 団欒(だんらん) 唾(つば) 鉄瓶(てつびん) 俗信(ぞくしん) お粥(おかゆ) 行平(ゆきひら) 五徳(ごとく) 鉄器(てっき) 火箸(ひばし) 十能(じゅうのう) 熾(おき) 熾火(おきび) 消し炭(けしずみ) 炭籠(すみかご) 弁慶(べんけい) 鮎(あゆ) 鮒(ふな) 薫製(くんせい) 昆布(こんぶ) 長火鉢(ながひばち) 湯沸かし(ゆわかし) 銅壺(どうこ) 灰掻き(はいかき) 七輪(しちりん)






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