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平塚市博物館/真土大塚山古墳
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平成14年7月

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真土大塚山古墳(下)


■真土大塚山古墳とヤマト政権
 この古墳の遺物の中でもっとも注目されるのが鏡で、鏡の縁の断面が三角形を呈し、内区には神像四と獣形二が配置され、三角縁四神二獣鏡と呼ばれます。鏡径22.1㎝の白銅質の良質なもので、中国から特別に輸入された鏡とされています。最近、中国の工人が日本で製作したという説もありますが、決着はついていません。鏡には「陳是作鏡甚大好 上有王父母 左有倉龍右白虎 宜遠道相保」と銘文が記されています。この鏡と同じ鋳型でつくられた鏡が京都府椿井大塚山古墳から1面、兵庫県権現山51号墳から1面と岡山県湯迫車塚古墳から2面と計5面が出土しています。特に、椿井大塚山古墳からは32面以上の三角縁神獣鏡が出土し、全国の前期古墳から出土した同じ型鏡が集中していることからヤマト政権の中枢部にいた人物の墓といわれています。
 つまり、真土大塚山古墳の被葬者は、ヤマト政権との間に強い結びつきがあったために鏡を入手できたと考えられます。三角縁神獣鏡はヤマト政権との関わりを解く鍵になると考えます。
■砂丘に造られた真土大塚山古墳
 相模川下流の右岸の砂丘に立地した真土大塚山古墳周辺は、古墳後期には相武国の支配領域の中に入りますが、とうてい当時の経済的中心地とは考えられません。なぜならば、集落が少なく、生産性の低い砂丘地に造られているからです。この状況に似ているのが、近年発見された県内最大(90mと89m級)の長柄・桜山古墳です。2基の古墳は相模湾を望み、河川に面した丘陵に立地しています。この真土大塚山古墳と長柄・桜山古墳には2つの共通点があります。一つは相模湾を望み、河川の河口に立地していること。二つは生産性の低い場所にあることです。なぜこのような立地する所に造られたのでしょうか。この問題を解く鍵の一つに『古事記』に記載された「倭建命」の道が考えられます。倭建命は足柄峠から海岸にでて走水につきます。このルートは古代の「東海道」とほぼ一致すると考えますので、古墳時代前期まで遡ることも可能かと思います。
 そうだとすれば、この二つの古墳は4世紀後半と時期的に近いことから、同じような理由によって造られたと考えられます。その理由は、ヤマト政権は東国支配を推進する手段として、海に面した東海道ルートの要として河川の河口付近を押さえ、その箇所を軍事的拠点と位置づけたのでは。と推理しましたが如何なものでしょうか。

神獣鏡
三角縁四神二獣鏡

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