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石材図鑑 凝灰岩類1 (七沢石)

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最終更新 2005年3月

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凝灰岩類1 (七沢石)

七沢石の接写 宝篋印塔の七沢石接写
▲七沢石(火山礫凝灰岩) ▲七沢石 (火山礫凝灰岩)
  厚木市七沢 鐘ヶ岳東麓産   平塚市北金目 不動院 宝篋印塔,
  明和9(1772)作
  丹沢層群 煤ヶ谷亜層群 大沢層  
 七沢石は、丹沢層群上部の煤ヶ谷亜層群・大沢層・大沢凝灰岩中の火山礫凝灰岩です。大沢凝灰岩は安山岩質〜石英安山岩質の細粒〜火山礫凝灰岩よりなりますが、その中で層理の不明瞭な塊状の火山礫凝灰岩が七沢石として利用されています。こうした塊状の火山礫凝灰岩は鐘ヶ岳東麓によく分布し、層厚100mの層準が七沢石の丁場となっています。現在でも丁場の名残はいくつか見ることができます。
大平丁場の七沢石 矢の跡のある切り出された七沢石
▲七沢石の露頭  ▲七沢石の丁場にみられる矢の跡のある切り出された凝灰岩
  厚木市七沢 鐘ヶ岳登山道
   24丁目大平丁場
  厚木市七沢 鐘ヶ岳東麓
 七沢石は、厚木市七沢の鐘ヶ岳東麓から切り出された石で、色合いから「相模青石」とも呼ばれたようです。採掘の歴史は古く、江戸時代前期に信州高遠の石工によって始められ、江戸中期以降盛んになったといわれます。江戸末期に一時中断され、明治初期に再開され、大正初期に最盛期を迎えたようです。その後、関東大地震で山が崩れて一時中断したものの、戦後石材の需要が復活し、昭和30年台まで継続しました。昭和38年5月を最後に採石は中止されています。市域の石仏の造立年代からも、こうした七沢石の利用の変遷を読みとることができます。 
七沢石丁場跡の碑 七沢石の六地蔵
▲七沢石の丁場跡の碑 ▲七沢石の六地蔵 享保2(1717)作
  厚木市七沢 鐘ヶ岳東麓   平塚市広川 善福寺
 七沢石は粘りとはりがあって、道具のつきがよく細工し易いといわれます。生産量の8割までが墓石・碑石・石仏・石塔・道標であり、その他に石臼・敷石・石垣用・かまど用・蔵用にも用いられ、一般庶民の石材として江戸中期以降盛んに利用されました。箱根火山の小松石が小田原城や江戸城の御用石として開発されたのとは対照的です。
市内最古の七沢石の地蔵 七沢石を用いた狛犬
▲平塚市内最古の七沢石の地蔵 ▲七沢石を用いた狛犬
   平塚市北金目 不動院 万治2(1659)作   平塚市入野 八坂神社
 平塚市域の石仏調査で確認された最古の七沢石は、北金目の不動院の地蔵で1659(万治2)年のもので、それ以降急激に増加しています。1600年代の七沢石は1700年代の七沢石と比べて極めて粗く、径が10〜50mm以上の火山礫が含まれ、色調も橙色を帯びたり、赤色や黒色火山礫を含むなど、詳細に見るとかなり異なっています。1700年代以降の七沢石は、3〜5mm程度の多色の火山礫を含む暗褐色の火山礫凝灰岩が多くみられます。正徳4(1714)年以降には、より細粒の、火山礫混じり粗粒凝灰岩が用いられています。こうした比較的細粒の七沢石は、地蔵や観音など繊細な彫りを施す石仏に多く見られます。石塔類には径5-10mm程の火山礫凝灰岩が多く、社寺の階段などでは極めて粗く、径5〜10cmにも達するような火山礫を含むものが良く認められます。
七沢石製の石臼 七沢石の宝篋印塔
▲七沢石製の石臼 ▲七沢石の宝篋印塔 右より寛政8(1796).明和9(1772).明和2(1765)
  清川村別所温泉   平塚市北金目 不動院
スケールバーは1cm


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