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平塚の砂丘

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最終更新 2004年3月

平塚の砂丘
 


■海岸線の砂丘
 湘南海岸には海岸線に並行して砂丘列が何列も続いている。平塚市街地は大部分がこの砂丘地帯である。
 現在作られている砂丘は国道134号線の南側に、海岸線に沿って分布する。平塚海岸の高浜台の歩道橋から眺めると、松林が海岸に並行して続いている。この松林はクロマツを主とした砂防林で飛砂を防ぐためのものであるが、最近では散策路や見晴らし台などが整備されてきた。砂丘はこの松林の南側にあり、かつては標高6〜7mほどの高まりがあった。現在では、湘南なぎさプランにより整備され、ボードウォークやビーチバレーに利用され、元来あった砂丘はほとんどみられなくなってしまった。国道134号線が走っている場所も周辺よりやや高く、現砂丘より一時期前に形成された砂丘列である。
■平塚市街地の砂丘
 ところで、平塚の市街地を自転車で走ってみると、平坦なはずの平野でもかなり上り下りのあること、それは南北方向に多いことがわかる。これは東西方向に高まりと低まりが続いているためで、高まりは砂丘や砂州(波によって打ち上げられた砂の高まり)だったところだ。平塚八幡宮や中原日枝神社、真土神社などでは今も高まりが認められ、砂丘の名残りをとどめている。こうした砂丘と砂州からなる微高地は平塚海岸から北へ5km離れた平塚市横内まで認められる。
 平塚市域で最も北にある最も古い砂丘は豊田本郷から豊田小嶺にかけて分布する。渋田川を隔てて横内の八幡塚付近にも同時期の古い高まりがある。
 平塚市域で大規模で標高の高い砂丘は中原日枝神社から真土神社にかけての列である。この列には、かつて高さ20mにもなる真土大塚山古墳があった。
 今から6000年ほど前の縄文時代には、今よりも気候が温暖で、海面が数m高く、海が内陸まで浸入していた。そのころの海は平塚市北部の大神あたりまで達していたようである。その後、海岸線にが次第に前進し、砂州や砂丘が何列も作られていった。
 中原〜真土の砂丘列が作られ、次いで中里〜八幡に砂州列が発達した。黒部丘〜平塚駅辺りも砂丘からなる高まりであり、続いて花水台〜須賀にかけての砂丘列が形成された。こうして海岸線に砂が堆積して砂州や砂丘が発達し、平塚市街地が形成されていった。
 こうした砂州砂丘列の間には、砂州砂丘列に平行して凹地が細長く広がっている。現在では盛土され、平坦化しているが、南原の市民病院の低地はかつて下田川が流れていたもので、現在ヘルシーロードとして残っている。
 この砂州・砂丘列を削って、東には相模川が、西には渋田川や花水川が流れ込んだ。従って、四之宮から東八幡にかけてや南原〜中里にかけては、川沿いに急に崖や坂道が見られる。東八幡の川除け稲荷や中里の八雲神社は砂州砂丘列の先端にあたっている。

 
 文献:平塚市博物館(1993) ガイドブック13「平塚・平野の地形」

飛砂を防ぐ砂防林 135号線は砂丘列
▲飛砂を防ぐ砂防林が東西に続く。 ▲国道134号線は砂丘列の上を走る。両側に砂防林が続く。
夕映えの砂丘 大磯の砂丘
▲平塚八景の一つ、夕映えの砂丘。現砂丘で、右側が凹地になっているのに注目。 ▲大磯から国府津ではかなり比高のある砂丘が続いている。
砂丘の断面 砂丘の風紋
▲博物館南側で見られた砂丘の断面 ▲砂丘上に作られた風紋。風の方向がわかる。
真土神社の砂丘 豊田の砂丘
▲真土神社は古い砂丘列上に建てられている。 ▲豊田の宗円寺は平塚で最も古い砂丘列上にある。

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