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相模平野の微地形

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最終更新 2007年12月

相模平野の微地形


砂州・砂丘地帯
 平塚市域の平野は、南部の砂州・砂丘地帯と北部の自然堤防地帯とに大きく二分されます。豊田〜真土以南の渋田川より南側の地域は、約6500年前の縄文海進期以降の海退に伴って海岸に形成された砂州及び砂丘地帯です。東西方向に連なる砂州・砂丘列の高まりとその背後の凹地がセットとなり、海岸から北に5㎞離れた真土まで十数列が分布しています。市街地化が進行して、高まりは平坦化されましたが、まだ社寺などにその面影を残しています。平塚で最北部の砂丘は豊田宗円寺が位置するもので、中原の日枝神社・真土神社・かつてあった真土大塚山古墳は第3列に位置しています。中里の八雲神社や東八幡の川除稲荷は第6列の砂州突端にあります。博物館は第7列の砂州上にあり、市役所本庁舎はこの前面の低地にあたります。平塚八幡宮は第8列砂丘に、JR東海道線は第9列砂州に位置します。
 昭和40年代の地形図をみると、標高10m程の微高地がかなり存在していたことがわかります。これらの微高地の大部分は標高10m以下の砂州であり、中粒〜粗粒の砂で構成されています。典型的な砂丘と呼べるものは、豊田、中原3丁目〜真土に至る地域、浅間町平塚八幡宮付近、JR東海道線以南の地域にあります。従って砂州・砂丘地帯の北部と南部が典型的な砂丘地帯でした。2つの砂州・砂丘列の間の凹地は、堤間凹地・砂丘間凹地と呼ばれ、かつては湿地となっていました。市域の堤間凹地で大規模なものには、南原〜新町三共工場内を通る谷川の低地と、南原から総合公園東へ延びる下田川の低地がありました。現在ではほとんど埋め立てられてしまいましたが、地表面の高低でその存在を知ることができます。
■自然堤防地帯
 花水川以西・渋田川以北の地域は自然堤防地帯であり、相模川及び金目川水系の河川の氾濫により形成された地域です。氾濫により形成された微高地である自然堤防とその背後の後背湿地からなっています。大神から田村を経て四之宮に至る相模川沿いに連なる自然堤防は最も顕著で400mの幅を持ち、市内では非常に連続性の良い大規模なものです。横内・大島・小鍋島・豊田打間木など渋田川沿いの自然堤防も、規模から考えると相模川水系の河川による自然堤防でしょう。自然堤防に沿っては旧河道が小鍋島などに特徴的に残っています。豊田や寺田縄は鈴川の、飯島・入野・長持・纏・徳延・上平塚などの自然堤防は金目川の流路沿いに形成された自然堤防と考えられます。
 この自然堤防上には旧街道が走り、古くからの集落が立地しています。ここは畑地や果樹園として利用されます。水田は、自然堤防では水はけが良すぎるため利用されず、自然堤防の西側に広がる後背湿地が利用されます。こうした自然堤防地域では、河道に近い場所は砂礫質な地層からなりますが、多くは特有の砂質泥層が認められます。
■台地と谷底平野
 これらの自然堤防地帯や砂州・砂丘地帯の西側には、北から伊勢原台地・北金目台地・大磯丘陵が位置しています。
 伊勢原台地は比較的平坦な台地であり、ローム層に広く覆われています。この台地の西側の縁には、前述した伊勢原断層が走っています。北金目台地は大根川と金目川に挟まれた台地です。東海大学の位置する平坦面は金目川のかつての河床で、河成段丘面です。
 金目川を隔てた南部の丘陵は一括して大磯丘陵と呼ばれます。南部の鷹取山や湘南平付近で最も標高が高く、丘陵化が進み、谷戸が数多く入り込んでいます。不動川の谷により日向岡の丘陵と分断されています。湘南平や高麗山をなす丘陵は最も東へ張り出し、花水川付近まで延びています。
 こうした台地や丘陵を刻む小河川沿いの低地は谷底平野と呼ばれ、細粒な堆積物しか流さないため、腐植物に富む泥質な地層が厚く堆積しており、軟弱な地盤になっています。

真土神社の砂丘
▲1980年代まであった平塚海岸の砂丘(平塚市袖ヶ浜)
▲初期の砂丘列に立地する真土神社(平塚市真土)
砂丘間凹地 砂州を作る砂層
▲砂丘間凹地(平塚市中原)

▲砂州を作る縞状の砂層(平塚市浅間町)

氾濫跡を示す達上池 旧河道と自然堤防
▲金目川の氾濫の跡(旧河道)を残す達上池(達上ヶ丘)

▲水田として残る旧河道と背後の自然堤防(平塚市大神)

砂州を削る相模川の旧河道
▲高い砂丘地帯を削る低い相模川の旧河道地帯(四之宮)
▲北金目台地を削る谷底平野(平塚市真田)

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