第1回 ハマヒルガオ−初夏の浜辺にピンクのじゅうたん |
湘南の海を代表する植物といえば、ハマヒルガオをあげることができるでしょう。
かつて、平塚の海岸ではあちこちに大きな群落があり、ピンクのじゅうたん
を敷き詰めたような光景が見られたものです。
今でも、ハマヒルガオは点々と花をつけていますが、大規模な群生はほとんど見られなくなっています。 |
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第2回 オオミズナギドリ−海鳥ウォッチング |
平塚海岸に立つと、左手には江の島から三浦半島、右手には伊豆半島、そして沖合には伊豆大島が見えます。
これらに囲まれた相模湾には、どんな生きものが暮らしているのか、思い浮かべたことがありますか。 |
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第3回 アカウミガメ−期待したい、産卵の復活 |
左の写真はアカウミガメの子ガメです。
ちょっとピンボケで、よい写真とはいえませんが、平塚海岸で生まれたアカウミガメの唯一の写真なので、非常に貴重なものです。
撮影は、1996年10月11日。
虹ケ浜の海岸を散歩していた市民の方が、砂浜を十数匹の子ガメが歩いているのに気づきました。
写真は、連絡を受けた博物館の職員が撮影したものです。 |
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第4回 須賀の夏祭り−暑い夏がますます熱い |
須賀の鎮守、三嶋神社の夏祭りが7月21日(土)・22日(日)に行われます。 |
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第5回 浜施餓鬼(はませがき)−海を見守るお阿弥陀(あみだ)様 |
高浜台の住宅地の一角に、お阿弥陀さまと呼ばれる大きな阿弥陀如来の石像が鎮座しています。
近世の石仏としては群を抜く大きさで、壇を含めた高さは4メートルを超えます。
弘法大師作という伝説がありますが、銘文には、江戸時代の宝永年中(1740年〜1711年)に覚誉上人が建立し、後に蓮台と石壇が砂に埋もれたので、弘化2年(1845年)に建て直したとあります。
元々は相模川河口近くの松林にあったものを、現在地に移して建て直したといわれています。 |
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第6回 キョウジョシギ−顔の模様がトレードマーク |
平塚で見られる鳥の中には、1年の間のごく短い期間だけ姿を見せる種類が少なくありません。
長距離を旅する渡り鳥の中に、繁殖地と越冬地を往復する途中にだけ、日本列島に立ち寄っていくものがあるからです。
海岸でよく見られるシギチドリ類という水鳥の中には、そうした種類が特に多く見られます |
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第7回 万祝(まいわい)−大漁の祝い着 |
万祝(まいわい)と呼ばれる、漁師の祝い着があります。
昭和30年ころまで、ブリの大謀網(たいぼうあみ)(大型の定置網)やカツオ釣りなどで、相当な大漁に恵まれたとき、網元や船主が千葉県の紺屋(こうや)(染物屋)へ注文に出し、船方へ配られた着物です。 |
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第8回 ビーチコーミング−自分だけの宝探し |
海岸を歩いて、きれいな貝殻を拾う遊びは、だれもが一度は体験したことがあるのではないでしょうか。
波に洗われて、元の形をとどめないほどに円くなった貝がらや陶器、瓶のかけらは独特な風合いを持ち、小さな宝石のようでさえあります。 |
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第9回 クロマツ林−海風からまちを守る緑の壁 |
船で沖合いに出て平塚を振り返ると、黒々と茂った松林が海岸を帯のように縁取っていることがよく分かります。
このクロマツ林によって、平塚のまちは潮気を含んだ南風や、砂の吹きつけから守られているのです。 |
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第10回 カモメ−冬こそカモメの季節 |
海の鳥といえば、多くの人がカモメを思い浮かべるでしょう。
また、カモメが夏の海のイメージと結び付いている人も少なくないようです。
しかし、実際に夏の平塚の海で見られるのはウミネコという種類だけで、ほかのカモメ類は冬鳥として渡ってきます。
つまりカモメを観察しようと思ったら、寒い冬こそチャンスなのです。 |
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第11回 海岸の砂-砂はどこから? |
平塚の海岸をつくっている砂浜の砂はどこから運ばれてくるのでしょうか? それは砂粒がどんな粒子からできているのかを調べることで知ることができます。
砂浜の砂を持ち帰り顕微鏡で見てみると、砂粒はいろいろな粒子からできていることが分かります。 |
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第12回 環境の変化-漂着物から自然を考える |
4月、桜が散り始めると、虹ケ浜の海岸にたくさんの花びらが流れ着きます。
花水川の岸に咲いた桜でしょう。
桜の花びらは、浜辺にも春の訪れを告げます。
同様に波打ち際に流れ着く“もの”たちは、自然の移り変わりをわたしたちに教えてくれます。 |
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第13回 ハマエンドウ-花が支える虫のくらし |
春の砂浜には色とりどりの花が咲き乱れ、小さな花畑のような景観を作り出します。
ピンクのハマヒルガオ、黄色のハマニガナ、白いハマボウフウなどに混ざって、ひときわ目を引くのが赤紫色の花をつけるハマエンドウです。 |
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第14回 平塚砂丘−夕映えの風景 |
平塚海岸の夕映えは『平塚砂丘夕映え』として平塚八景の一つに挙げられ、龍城ケ丘プールの東側にその碑が建っています。
相模川から花水川まで4Kmほど続く平塚海岸には、砂丘と松林が連なり、憩いを求める家族連れや釣り客でにぎわいます。 |
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第15回 漂着物−遠き島より流れ寄るロマン |
島崎藤村作詞の唱歌「椰子(やし)の実」のイメージから、遠方から浜辺に流れ着くものとして、ヤシの実(ココヤシ)を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
平塚海岸でも、ヤシの実に出会うことがあります。
皮がささくれたココヤシは、おそらく長旅をしてきたのでしょう。
しかし、果皮のきれいなものは、近くで捨てられた可能性が高いと考えられます。 |
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第16回 カツオ漁−須賀の鰹(かつお)一本釣り |
かつて、須賀は鰹の一本釣りが盛んで、大正時代には36艘(そう)もの鰹船があったといわれています。
漁期は3月から11月。
春は八丈島付近から始まり、三宅島、御蔵島、利島と黒潮の流れとともに北上し、夏は伊豆大島からジウミ(相模湾内)、秋は下り鰹を追って外房の勝浦沖まで出漁しました。
ひとたび漁に出ると1か月ほどは須賀に戻らず、7月の三嶋神社のお祭りまで戻らないこともあったといいます。 |
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第17回 砂丘−かつての海岸線を物語るもの |
相模川河口から花水川河口へ至る平塚海岸。
そこには、砂浜に平行して砂丘の高まりが続き、背後に松林のくぼ地が延びています。 |
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第18回 魚屋さん−須賀のボテイ |
みなさんは魚が食べたいとき、どこで買っていますか? |
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第19回 記念碑−花水河口の四十五佳選の碑 |
花水川橋の平塚側のたもとに「平塚市花水河口」と彫られた石碑があります。
宮城県石巻産の稲井石(仙台石)という粘板岩でできたこの石碑。
脇には、「名勝史蹟四十五佳選」とも刻まれています。 |
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第20回 浦境(うらさかい)−江戸時代の海の境界 |
平塚市の地図を見て、花水川右岸(大磯側)の唐ケ原が平塚市域であることを不思議に思う方も多いのではないでしょうか。 |
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第21回 貝塚−縄文の海に思いをはせて |
平塚には、縄文時代につくられた貝塚が二つあります。 |
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第22回 日の出−初日の出に願いを掛けて |
今年の元日、関東地方は穏やかな晴天に恵まれ、各地で初日の出を見ることができました。
平塚の海岸にも、初日の出を拝もうと例年にも増して多くの人が繰り出しました。
湘南ひらつかビーチパークでは、新年のカウントダウンイベントに続いて、大みそかの晩から日の出を待ち続けた人たちもいたようです。 |
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第23回 浮島現象−寒い朝に見られる蜃気楼 |
冬のよく晴れた寒い日に浜に行くと、遠い三浦半島や水平線の船が、海面から浮き上がって見えることがあります。
この現象は「浮島(うきしま)」などと呼ばれます。 |
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第24回 最終回 海へ出かけよう−平塚沖の波浪等観測塔 |
平塚の海に出かけたことのある方なら、虹ケ浜の沖合に写真のような塔があるのをご存じだと思います。
「波浪等観測搭」と呼ばれるこの塔。
昭和40年に、科学技術庁(現文部科学省)の附属機関「国立防災科学技術センター(当時)」が設置したもので、海洋の様々な自然現象を観測するための施設です。 |
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