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ひらつか歴史紀行 第48回

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ひらつか歴史紀行

 



第48回 近世平塚の領主 その5(年貢その2) (2014年9月号)


 前回は領主から賦課される年貢についてみました。今回は村における年貢の負担の仕方を見ていきたいと思います。
 現代、税は一般的には個人に賦課されますが、近世の年貢は村に賦課され、村の責任で上納されました。そのため、村では賦課された年貢を村内各百姓に所持石高に応じて割り付けて年貢を集めました。そして、各百姓から名主のもとに集められた年貢の納入状況を記録したのが年貢勘定帳です。
 下の写真は嘉永6年(1853)、土屋村(平塚市土屋)にある旗本柳沢領の田方の年貢勘定帳(年貢取立帳)です。ここから各百姓が領主柳沢氏に納めた田方の年貢がわかります。この勘定帳から作った下表をみると、56俵余を納めた名主重右衛門を筆頭に17口から合計115俵余の年貢が納入されたことがわかります。このなかには妙円寺や伊勢講もみられ、これら寺院や信仰集団も田地を所持し、年貢を納入していたことがわかります。 

嘉永6年土屋村柳沢領田方年貢納入内訳 嘉永6年当丑年田方御年貢取立帳
嘉永6年土屋村柳沢領田方年貢納入内訳 嘉永6年当丑年田方御年貢取立帳(土屋 寄託文書)

 
  さて、次にこの勘定帳から個々の百姓の納入のあり方を源左衛門を例にみてみましょう。これによれば、彼にはまず、年貢として2俵3斗4升6勺1才が割り付けられています。さらに「定使給(村に置かれた用務員へ渡す給料)」として2升9合4勺5才の負担が加わり、合せて2俵3斗7升6才の負担が課せられました。しかし、彼は何らかの役職に就いていたらしく、「御給米」として6斗が支給されています。そのため、結果としてこれを差引した1俵1斗7升6才が源左衛門の負担とされ、12月9日に納入されました。

 

嘉永6年当丑年田方御年貢取立帳(土屋 寄託文書)における源左衛門の記載




【参考文献】
 春期特別展図録「近世平塚への招待-館蔵資料で見る23題 2005年

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