4 相模川のめぐみ


●相模川の水運
 相模川の水運の史料は戦国時代よりみられま
す。近世には甲斐・津久井の材木や流域村々か
らの年貢などを河口の須賀・柳島の湊へ送り、
海船に積み替え江戸へ送る輸送路が確立しまし
た。寛文4年(1664)には、津久井県太井村
に荒川番所が設置され、流通物資に運上金が賦
課されました。物資の輸送を担った高瀬船には
時として大山参詣の人々も運ばれ、相模川は人
と物資の行き交う動脈として発展し、須賀湊は
川と海の結節点として繁栄しました。


元亀元年(1570)北条氏印判状

●高瀬船

高瀬船の模型


高瀬船の部分名称

●投網
 相模川の漁はアユ漁が中心で、戦後しばらくはアユをとって売ることを専業や副業にする人もいました。下流域のアユ漁は、投網とコロガシ(カケド)が昔から盛んで、現在も行われています。投網は、オカブチやカチブチといって川を歩いて打つ方法と、フナブチといってサンパ船に乗って打つ方法とがあり、フナブチは川の深い所で行いました。また、網の広げ方には、円、楕円、四角などがあり、川の状況やとる魚によって広げ方を工夫しました。 投網は流域のほぼ全域で行われていますが、下流域は投網が編み目の大きさによって細かく分化しているという特徴があります。目の大きな順に、大目、中目、アキメ、小目、小豆目があり、とる魚に応じて網を使い分けました。最も大きな大目は編み目が一寸でコイやボラをとり、アキメは七分目ぐらいでニサイ、ウグイ、フナをとり、中目は約五分目でイナやコノシロをとる網でした。小目はセブチともいい、三分五厘から四分目でアユをとるための網です。アユの他にウナギやハゼやエビもとりました。最も目の細かい小豆目は三分目で、解禁前のアユをとりました。


投網


フナブチ

●コロガシ
 下流域を代表するアユ釣りで、カケドともいいます。仕掛けは、道糸にタマヤと呼ぶ球形の錘を結わえ、先端に両掛のハリを5〜6本つけます。仕掛けを対岸方向へ投げ、竿を上流から下流へ扇形に操作し、アユをハリに引っ掛けてとります。

コロガシ

●ウナギモジリ
 モジリには、ウナギモジリ、エビモジリ、カニモジリなどがあります。モジリは内部にコシタと呼ぶカエシがついていて、入った魚が逃げ出せない仕組みになっています。ウナギモジリはコシタが二重になっているのが特徴で、奥のコシタの内側にミミズやタニシを餌として詰めました。夕方、モジリの口を川下に向けてかけ、上ってくるウナギをとりました。ウナギはアユに次いで売買の対象になった魚で、ハキナワ、カイヅリ、ウナギカキなど多種の漁法がありました。

ウナギモジリ


→展示室案内へ戻る