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縄文から弥生へ 平塚市博物館公式ページ




縄文から弥生へ

さて、縄文時代(じょうもんじだい)の次に教わるのが「弥生時代(やよいじだい)」でしょう。
弥生時代はコメ作りが本格的になり、弥生土器や金属器など新しいものが登場しそれまでの縄文時代とは全く別の「時代」となる、イメージだと思います。
ですが、「全くの別物」というわけではないのです。新しい時代になると新しいものが出てきますが、それは突然出てくるものだけではありません。
わたし達のご先祖(せんぞ)達が、長い時間をかけて変化させてきた結果が、わたし達の目に「特徴的(とくちょうてき)なもの」としてうつっているものもあるのです。

2019年の5月1日。元号が「令和(れいわ)」となりました。数十年後にはこの日付が「平成(へいせい)」時代と「令和」時代とをわけるものとなるでしょう。
この日以降、みなさんの生活に大きな変化があったでしょうか。おそらくはほとんどかわらない生活をお送りしていることと思います。
では、10年前の生活は今とくらべてどうだったでしょうか。2010年は「スマートフォン」がすでに売られていた時期ですが、
私はまだ「ガラケー(わからない人は大人に聞いてみてください)」をつかっていて、気軽にインターネットを使うことはできてはいませんでしたし、周りの人もそうでした。
現在では多くの人がスマートフォンをもち、しかも無料でインターネットを使える場所すらも見られるように“変わって”きました。

むかしに生きた人々も同じです。新しい何かが起きてもすぐには自身の生活を変えずに、少しずつかわっていった結果、むかしの生活とはちがう生活になることもあったはずです。
  「縄文時代」や「弥生時代」は何年の何月何日からかわったというわけではありません。当時の人々も、きっとそうした意識はなかったでしょう。
教科書では、カリキュラムの都合で時代ごとにわけて学ぶことが多いので、習う時代の前後がわかりづらいと思います。
そこで、弥生時代のことを縄文時代の流れから説明し、実際に平塚市で見つかった遺跡(いせき)とともに見ていきます。
(ページの構成が「縄文時代のくらし」と似ていますよね。気にしないでください。)








弥生時代(やよいじだい)ってどいう時代?    
弥生土器
どうして「やよい」時代なの?
【弥生土器(やよいどき)について】



弥生時代(やよいじだい)は“お米”の時代?
【弥生時代の米づくりについて】



ムラからクニへ?
【弥生時代の集落について】



    











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