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消滅した鮫川池

平塚の地形地質 (4.平塚・平野の地形)

消滅した鮫川池

最終更新 1998年5月

八幡小学校の南・川除稲荷の東に、かつて鮫川池と呼ばれる池がありました。この池は四之宮中庭を経て流れる慈眼寺堀と八幡北より流れる鮫川との合流点にあった池で、明治24〜40年代の地形図に認められます。北東−南西方向に延びた池で、大野誌によれば東西140m、南北33m、深さ6〜7m、面積47アールとされ、相模川が八幡方面に氾濫した際にできた旧河道の名残り(河跡湖)と考えられます。この池を経て、川が更に下流に流れ、馬入北で相模川に注いでいました。この池は大正12(1923)年の関東大地震で隆起して干上がったといわれ、現在では全くその面影を見ることはできません。  こうした旧河道の痕跡は南の中堂から榎木町に至る地域でも、まだ残っています。中堂神明神社から東方には河道に沿って作られた堤防が見られ、公園等に利用されています。

旧河道沿いに残る水田・湿地・池(矢印)
(明治42年1/20000伊勢原に加筆)

砂州先端の中堂神明神社

中堂の旧河道に沿う堤防



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