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豊田氏の居住地か 豊田本郷遺跡群(古墳から近世)

平塚の歴史散歩 (平塚の遺跡)

豊田氏の居住地か 豊田本郷遺跡群(古墳から近世)

12.とよだほんごういせきぐん

最終更新 1998年5月

 遺跡は砂丘最北列の最西端に位置し、砂丘、自然堤防と後背湿地に立地しています。古墳時代から近世までの複合遺跡で、竪穴住居跡26軒、掘立柱建物跡12棟、方形状土坑25基、土坑147基、ピット570本、溝状遺構76条、井戸跡86基、土壙墓7基、配石遺構6基、方形周溝墓2基、道路状遺構1基、不明遺構2基の計960基が発見されました。相対的に古墳時代から中世はは居住空間として、近世は生産空間であることが確認され、土地利用が時代によって異なることがわかります。遺物は弥生土器、土師器、須恵器、緑釉陶器・灰釉陶器、青磁・白磁、中近世陶磁器、金属製品、瓦等が出土しています。
 特徴的な遺構を時代ごとに幾つか挙げますと、古墳時代の方形周溝墓は、前方後方墓につながる大変貴重な形態といわれています。奈良時代前後の大型の溝状遺構は旧河道と考えますが、この溝からは多量の土帥器や須恵器の他に、刻み目のある馬の橈骨が出土した。この骨は占いに使ったもの、楽器に使ったものと推定されていますが、よくわかりません。しかし、多量で未使用の土器は河川祭祀に使われたものと理解されます。この土器群は8世紀の土器編年の基準となる貴重な資料といえます。
 この遺跡の主体をなす時期は中世です。古代末から中世初頭にかけて活躍した豊田氏の居住地と推定されていますので、大変興味深いものがあります。また、中世集落の実態がわかっていませんでしたので、大変貴重な資料を提供してくれました。

古墳時代の方形周溝墓

奈良時代前後の大型の溝(旧河道)

中世の屋敷堀(L字型)

中世の井戸


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