平塚のお祭り −その伝統と創造− (I)

芝居

平成17年夏期特別展図録 平成17年7月発行

 かつて田舎芝居や歌舞伎、神楽はお祭りの大きな楽しみだった。大神寄木神社の歌舞伎は相模の歌舞伎といわれ、有名な役者が出演するので近郷近在から人が詰めかけ、翌明け方まで演じられた。芝居の役者を芝居師(しばやし)とよぶ。戦前、平塚の祭りに呼ばれた主な芝居師は、平塚の豆八、厚木の柿之助と源五郎、茅ヶ崎円蔵の役者などだった。戦中戦後は素人芝居が流行した。役者に稽古を付けてもらい、衣装を借りて演じた。昭和30年頃は映画会なども催したが、テレビの普及で急速に廃れていった。
 役者の折衝は一幕いくらで青年団が行い、牛車で役者の衣装や道具を運んだ。丸太を組んで神楽殿を設営し、各戸からムシロを集めて敷き詰めた。お握りとお煮染めを集めて麹蓋に乗せ、役者や太鼓付き合いをしている近隣の青年たちに振る舞った。幕間に役者が化粧を落とすための風呂桶を神社へ担ぎ上げた。風呂桶はムシロで囲ってあり、青年団の下っ端が「おい今、娘さんが風呂に入ったぞ」と言われ、ムシロをのぞいて見ると、お婆さんが風呂に入っていたなんて話もよく聞く。

田村八坂神社の神輿渡御 昭和13年 八坂神社提供

入野八坂神社の神輿と青年 昭和29年4月 江原一男氏寄贈

土屋惣領分の青年が演じた国定恵治 昭和21年4月12日 古正タミ子氏提供

城所貴船神社の太鼓櫓と青年 貴船神社提供