平塚・石仏めぐり-旧市内編- (2・旧須賀村)

海難供養塔


海は私たちにさまざまな幸を与えてくれますが、一方では計り知れない危険な場でもあります。天候の急変や誤った判断は、直接生命の危機につながることもあるからです。
須賀には不幸にして海で亡くなった人たちを葬り、供養する場があります。高浜台の海に近い一角にオアミダサマ(お阿弥陀様)と呼ばれる石仏が建立されています。約20坪程の場所に写真の阿弥陀如来が海を向いて建ち、いくつかの海難者供養塔もあります。
阿弥陀仏は台石を含めると4m余の高さがあります。台座正面には大きく「海上安全」と刻まれ、海原を見渡している姿からは、海をなりわいの場すとる人びとの願いを強く感じることができます。
阿弥陀仏は台座の銘文によれば、宝永年中(1704〜1710)に覚誉上人によって建立されたが、その後、蓮台・石壇とも砂に埋まってしまったので寄付を募って弘化2年(1845)に建て直したとあります。
地元の言伝えでは、もとは相模川の河口に近い松林の中にあったのを現在地に移して建てたとのことです。
敷地内にある供養塔をいくつか紹介すると、阿弥陀仏の右手には、「水陸幽顕法界含識 天保十三年六月大安日」「世話人 廻船船頭須賀 柳島」とし、24人の戒名を彫った石塔があります。戒名をみるとすべて男性で、子供が1人含まれています。世話人からすれば廻船の乗組員の供養塔と考えられます。この塔の横には、年代はわかりませんが、「江戸問屋中 真名鶴石世話人 明神丸」「當浦 舟持中 舟乗中 右世話人」とし、5人の戒名を刻んだ塔もあります。江戸時代には真鶴から江戸に石が盛んに運ばれたので、これも石を運ぶ廻船の遭難者供養塔なのでしょうか。これらの他には大正2年6月28日の銘をもった「海上没七人之霊」とする石塔、「無縁法界」とした塔などいくつかがあります。
オアミダサマは、海で引き上げた流れ仏で身元の判らない人を葬る場でもあり、ここでは毎月16日には漁に携わる家や魚屋の主婦たちによって念仏が唱えられ、8月16日には海宝寺の住職を中心にして施餓鬼も行われています。

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