榎木町4にある蓮光寺墓地の一角には丁髷(ちょんまげ)塚と呼ばれている小さな塚があります。塚の上には写真のような高さ90cmの碑があり、これには「むかし馬入村の若衆十六人のちょんまげを埋めた處という 丁髷塚 戸川貞雄」と刻まれています。
塚というのは、いうまでもなく土がマウンド状に盛られたもので、たいてい何らかの由来が伝承されています。丁髭髷塚の場合は次のような話が伝わっています。 昔、大磯町の国府で行われるコウノマチ(国府祭)が終わり、帰り道で一之宮の寒川神社の神輿を担ぐ若衆と平塚八幡宮の神輿を担ぐ若衆がけんかになった。八幡宮の神輿は八幡、新宿、馬入が年番で担ぐことになっており、この年は馬人が年番に当たっていた。けんかの末、馬入の若衆は一之宮の神輿をうばい、馬入川に投げ込んでしまった。川に投げ込まれた神輿は、茅ヶ崎の南湖の浜にあがったが、けんかをした馬入の若衆16人は打首の断罪を受けることになった。しかし、処刑の折りには、打首にされる代わりに若衆たちの丁髷を切り落とすことで罪をまぬがれた。この丁髷を埋めたのが丁髷塚である。 事件の真相や年代については、まったく不明ですが、塚の由来は以上のようにいわれています。ただ、この塚は『平塚小誌』には「首塚」という名で記され、丁髷塚というのは近年の命名のようです。 コウノマチというのは六所神社が相模国の一之宮・寒川神社、二之宮・川勾神社、三之宮・比々多神社、四之宮・前鳥神社、五之宮・平塚八幡宮の5社を迎えて行われる祭りです。神揃山に祭場が設けられて神輿が登り、写真のような座問答などが行われます。平塚からは2社が参加するだけでなく、農具市が立つなどして多くの人が集まり、大変有名な祭りとなっています。さて、この塚の由来で注目されるのは、若衆の首を落とす代わりに髪を切って土に埋め、塚を築いたということです。普通、塚といえば死者を埋葬した墳丘を意味しています。丁髷塚の場合も、若衆が断罪された結果として築かれたもので、通常の塚の意味と変わりありません。ただし、この場合は髪が遺体の代わりをしているわけで、「髪」に特別の意味があるのがわかります。「髪」は「遺髪」などから推測できるように生命や人格の象徴となっているのです。 | |
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