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発見!ひらつかの民俗 第3回 地曳船の大きさ比べ(2009年6月17日・7月15日)

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発見!ひらつかの民俗


第3回 地曳船の大きさ比べ(2009年6月17日、7月15日)

 同じ用途の船でも地域ごとに形や大きさが異なる。このことは、木造の和船を使用している地曳網の船を見比べるとよくわかる。平塚の地曳船は船体が大きく、ミヨシが高くせり上がっているのが特徴で、西へ大磯方面へ行くとだんだん船が小さくなるという。この度、当館の民俗探訪会で大磯・二宮の浜を歩く機会があり、このことを実感した。
 平塚にはもはや現役の地曳網は無い。最後まで営業を続けていた勘四郎網は平成18年に営業を停止し、船の勘四郎丸は浜の小屋に収められている。勘四郎丸を計測すると、全長約10m、肩幅2.1m、ミヨシの高さは2.1mほどである。

平塚の勘四郎網 大磯町の地曳網漁
▲平塚市の勘四郎網 ▲大磯町の地曳網漁

  大磯町では4統の地曳網が健在だ。東から太郎衛門船、台船、原船、共栄丸が営業を続けている。土日曜日に観光用の地曳網を行う網が多いが、小磯の台船では3月から11月まで荒天日を除く毎日地曳網を行っている。地曳網ではシラス、アジ、カマス、サバ、イワシなど様々な魚が捕れる。
 大磯町の地曳船を計測してみると全長8m、肩幅1.65m、ミヨシの高さ1.4mほどであり(二宮寄りの共栄丸を除く3艘の平均値)、平塚の地曳船に比べかなり小さいことが判った。共栄丸はさらに小さくなり、ミヨシが立っていない。

大磯の太郎衛門船 大磯の台船
▲大磯の太郎衛門船(全長8m×肩幅1.65m×全高1.7m) ▲大磯の台船(全長7.8m×肩幅1.65m×全高2m)
大磯の原船 大磯の共栄丸
▲大磯の原船(全長7.8m×肩幅1.6m×全高1.7m) ▲大磯の共栄丸(全長6.7m×肩幅1.6m×全高1.7m)

 二宮町では梅沢海岸で観光用の地曳網が行われている。ここで地曳に用いる長屋丸は、いわゆる箱船で、小さな四角い船であり、ミヨシが立っていない。長屋丸のNさんによると、昭和14年から箱船にしたが、それ以前の船はミヨシが立っていたという。
 このように、相模湾の地曳船は西へ行くほど小型になり、ミヨシが立たなくなる。網の規模も小さくなり、平塚ではシラスを捕るのに600〜700m沖に網を掛けるのにたいし、大磯では約300m沖、梅沢では200くらい沖に網を掛ける。船に乗る人数も少なくなり、平塚では7〜8人のフナカタが必要なのにたいし、大磯では4〜5人、梅沢では2人で漁をしてしまう。梅沢では1人が櫓を漕ぎ、1人が網を掛ける。平塚では地曳網の規模が大きく、多数のフナカタを必要とすることが、営業を続けることを困難にさせた一因ではないかと思われる。
 こうして同じ相模湾でも船の形が違い、漁業の形態も異なってくる。平塚沖は比較的遠浅だが、二宮沖の海底は深い。平塚の地曳船は沖合から崩れてくる波に対処するためにミヨシが立っているのだという。梅沢のNさんによれば、二宮方面は深い海底から波が押し上げてくるため、波の圧力が強く、そのため船が扁平な形をしているのだという。木造の地曳船の形は、沖合の海底地形によって違ってくるのである。

二宮町の長屋丸

▲二宮町の長屋丸(全長4.2m×肩幅1.6m×全高1m)

 

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