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ひらつか歴史紀 第12回 幕末の村おこし竏瀦ミ岡村の報徳仕法 その1

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第12回 幕末の村おこし竏瀦ミ岡村の報徳仕法 その1(二宮尊徳と報徳仕法)


  前回までは主に平塚宿に焦点をあてた話題を紹介してきました。今回からは少し平塚宿を離れた話題をみていきたいと思います。

  二宮尊徳(金次郎)は日本史のなかでもよく知られた人物だと思います。昔の学校には薪・柴を背負った少年金次郎像が敷地内に建てられ、勤勉な偉人の代表として見習うべき人物とされていました。そのためか、二宮尊徳(金次郎)という名前を知っている人は多くても、彼について薪を背負った少年ということ以外、どんなことをした人なのか知っている人は意外と少ないといわれます。

二宮尊徳生家
二宮尊徳生家 小田原市栢山
 天明7年(1787)、尊徳はこの家で生まれた。16歳の一家離散の際、売却されたが昭和35年(1960)、元の地に移築された。現在、小田原市尊徳記念館が併設されている。

 二宮尊徳は天明7年(1787)、相模国足柄上郡栢山村(現在の小田原市栢山)に生まれました。生家はもともと裕福な家でしたが、酒匂川の洪水や父の病気などで次第に困窮していきました。そして、彼が14歳のときに父が、16歳のときに母が亡くなってしまいます。さらに、母を亡くした直後に酒匂川の洪水で一家の田畑が全て流失してしまい、尊徳は伯父万兵衛の家に、弟二人は母方の実家へ引き取られ、一家は離散してしまいました。
 しかし、その後、尊徳は流失して無年貢地となった土地の耕作、小田原での奉公稼ぎ、米金の運用などにより土地を買い戻し、一家再興を果たしました。さらに、自家のみでなく一族親類の家の再興や、小田原での奉公先である小田原藩家老服部家の家政再建も手がけるようになりました。
 そして、文政元年(1818)、老中に就任した小田原藩主大久保忠真が酒匂川の河原で領民に倹約・出精の心がけを教諭した際、尊徳は領内奇特人の一人として表彰されました。当時、小田原藩は財政難を背景に民間の活力に依拠した藩政改革を始動するところで、この教諭・表彰はその手始めにおこなわれたものでした。そして、こうした政策基調の一環として藩は
民間からの献策を募るようになりますが、尊徳はこれに応じていくつかの献策を藩に提出しました。

桜町陣屋
桜町陣屋 栃木県真岡市
 二宮尊徳は文政6年(1823)の桜町領赴任以来、26年間この陣屋に在陣執務した。現在、真岡市二宮尊徳資料館が併設されている。

 ところで、小田原藩では財政改革の一環として分家である旗本宇津家の財政改革・領地復興が課題となっていました。宇津家は4000石の大身旗本でしたが、困窮のためその財政は小田原藩の資金援助で賄われていました。しかし、小田原藩も財政的余裕がなく、宇津家の財政改革・領地復興が必要とされたのですそこで、藩は文政元年に表彰された奇特人たちに宇津家の財政改革案を提出させ、そのなかから尊徳の案が採用されました。そして、文政6年(1823)、尊徳は宇津家の財政改革・領地復興のため同家の領地である野州桜町領(栃木県真岡市)へ赴任しました。領主の財政改革を尊徳という一介の百姓に請負わせたところに民間社会に依拠した当時の藩政の性格がうかがえます。
 さて、その後、尊徳は宇津家の財政改革・領地復興=桜町仕法を成功させます。そして、この成功により尊徳は荒廃や財政難に悩む近隣の村々や領主から次々と仕法の実施を依頼されるようになり、数多くの改革=仕法を手がけました。そして、天保13年(1842)には幕臣に登用され、幕府領や日光神領(栃木県日光市)の仕法に着手しましたが、安政3年(1856)、今市(栃木県日光市)で70歳の生涯を閉じました。
 二宮尊徳が創始した改革手法は「報徳仕法」と呼ばれます。報徳仕法の特徴の一つは収入のうち、支出を定額にして(分度)余剰をつくり、その余剰を村や国のために譲る(推譲)という方法にあります。たとえば領主の場合は財政支出を定額に抑えることを約束させられ、定額以上の年貢収入は荒地の開発事業や窮民救済、借財返済にあて、領主財政の健全化と領民の生活安定をはかることを目指します。実際の仕法において「分度」・「推譲」を守り抜くことは非常に困難でしたが、報徳仕法は領主から百姓・商人まで幅広く適用できる普遍性をもった手法であったため、多様な階層の人々に受け入れられました。
 そして、この報徳仕法が現在の平塚市内の片岡地区にあたる片岡村で尊徳の指導を受けて実施されていたのです。そして、これは後に近代の報徳運動の源流の一つになっていくことになります。


【参考文献】
 馬場弘臣「小田原藩における近世後期の改革と中間支配機構─取締役と組合村をめぐって─」(『おだわら竏苧jと文化』8号 1995年)
 松尾公就「小田原藩政の展開と二宮尊徳窶粕ヒ主大久保忠実の酒匂河原での表彰の意義をめぐって窶煤v(『地方史研究』283号 2000年)
 2006年度春期特別展図録「幕末の村おこし竏駐{尊徳と片岡村・克譲社の報徳仕法」

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