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伊勢原台地の西縁を区切る伊勢原断層

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伊勢原台地の西縁を区切る伊勢原断層


活動周期の明らかな伊勢原断層
 近隣の活断層は、ほとんど活動履歴、活動周期について不明ですが、伊勢原断層は活動履歴が明らかになっている断層の一つです。伊勢原断層は、清川村煤ヶ谷から厚木市七沢を通り、伊勢原台地西縁に至る断層です。伊勢原台地西縁の直線的な崖はその断層崖です。
■岡崎でのボーリング調査
 伊勢原断層については、東京大学地震研究所や神奈川県立博物館、神奈川県により、ボーリング調査やトレンチ発掘が実施されており、活動履歴が明らかにされています。東京大学地震研究所等が伊勢原台地の西南端、平塚市岡崎丸島の沖積低地の、断層をまたぐ2地点でボーリングによる活断層調査を行いました。地表より15m程は泥炭質なシルト層ですが、海抜0m位以下は海成の貝殻を含む砂層となります。断層を挟む2つの地点で地層の高度を見ると、海成層の上面や泥層中に挟まれるスコリア層の高度が 1.6m程食い違っています。いずれも水中に堆積した地層ですからほぼ水平であったはずで、この高度差は断層による変位と考えられました。貝殻や腐植物による年代測定も行われ、6000年〜1100年前の地層を変位させている事が明らかにされました。しかし江戸期の宝永年間に降下したスコリア層の高さには変化がなく、平安期以降江戸期以前に活動した断層であると推定されています。なお、このボーリング調査によりここでは約7800〜6000年前頃まで、海が進入していたことが明らかにされました。
■元慶2年(878)の相模・武蔵地震
 伊勢原断層の活動は元慶2年の相模・武蔵国を襲った地震ではないかと考えられています。この地震は「元慶2年9月29日(878.11.1),M7.4,・・・・死者多数、京都奈良で有感」(理科年表)と記され、丹沢東縁に震源がおかれています。上述した伊勢原断層の活動時期から考えると、この地震の震源断層は、伊勢原断層である可能性が高いとされています。この活動時期と変位量から、伊勢原断層は5000年以上の間隔で、 1.5m程度の変位を起こす断層であることが明らかにされています。平安時代に動いて、活動周期が5000年ということですから、当分は動かない安全な活断層ということになります。神奈川県が平成7・8年に行った調査では、伊勢原断層は東傾斜の逆断層とされ、再来周期は3300〜5000年と推定されています。
■岡崎の台地で見出された平安時代の断層
 平塚市岡崎の岡崎小学校東の台地上にある山王久保遺跡の発掘調査では、平安時代やそれ以前の遺構を切る断層が見つかり、断層に沿って土器が落ち込んでいました。断層は南北性で最大で1m程のズレがあり、複数回活動した形跡が認められました。遺構を切る最新の断層は、前述した元慶2年の相模・武蔵地震に対応するものと推定されます。
■上吉沢へ続く伊勢原断層
 伊勢原断層の南延長は金目川の低地で覆われています。神奈川県では金目郵便局の南の低地でトレンチ調査を実施しました。そこでは断層そのものは検出されませんでしたが、地層が西側に傾斜しているのが確認され、断層運動に伴う可能性が指摘されています。
 博物館の所蔵するボーリングデータを解析したところ、金目川沿いの南金目の集落が立地する沖積層の下には、数万年前の金目川の段丘礫層が埋没しています。この段丘礫層と上位に重なるローム層は南金目と片岡の沖積層下に同様の厚さで存在するものの、高度が10m程食い違っており、片岡側が高くなっています。この段丘礫層の変位はまさに伊勢原台地西縁の伊勢原断層の南方延長にあたります。
 この伊勢原断層は金目川を横断してさらに南側の大磯丘陵内にも追跡でき、吉沢小学校東側まで続きます。千須谷の谷では12-13万年前の吉沢層の堆積面(吉沢面)が10mほど食い違っています。

伊勢原断層 伊勢原断層の断層崖
▲伊勢原台地西縁を区切る伊勢原断層崖
▲伊勢原断層の断層崖(平塚市岡崎)
山王久保遺跡の地震断層 伊勢原断層の地形を望む
▲平塚市岡崎 山王久保遺跡の地震断層
▲上吉沢に続く伊勢原断層の地形を望む(上吉沢)

地盤図の一部

▲伊勢原断層の南方延長(「平塚周辺の地盤図」の一部. 国土地理院発行の2.5万分の1地形図「伊勢原」を使用)


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