14 失われるもの
私たちの周りに存在したもので整備、開発、新設などの過程で「失われたもの」がたくさんあります。整備、開発、新設により私たちの身のまわりは確かに豊かになり、暮しやすくなったといえます。しかし、平塚海岸は、砂浜の浸食や湘南遊歩道路、砂防林によって遠浅の海と広い砂浜が失われました。街は昭和20年(1945)7月の空襲により大部分が焼失し、戦後の復興事業と区画整理事業によりその中心部は大きく姿を変えてしまいました。車社会の到来は、道路の拡張や新設により田園風景を変えています。上流に作られたダムや取水堰により水量が減少した相模川には、広い河川敷ができました。その河川敷には駐車場やスポーツ広場が作られています。生活の一部として利用されていた緑豊かな丘陵地は、大規模に造成され、宅地化していきました。この二、三十年の間に、私たちの身の周りは海で、山で、川で、街でそして田園で大きく変りました。今後もそうした変化を見守り、失ってはならないものを大切にしていかなければなりません。

昭和 15年の平塚海岸

昭和 49年の日向岡

平成 9年の平塚海岸

平成 9年の日向岡
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私たちの周りに存在したもので整備、開発、新設などの過程で「失われたもの」がたくさんあります。整備、開発、新設により私たちの身のまわりは確かに豊かになり、暮しやすくなったといえます。しかし、平塚海岸は、砂浜の浸食や湘南遊歩道路、砂防林によって遠浅の海と広い砂浜が失われました。街は昭和20年(1945)7月の空襲により大部分が焼失し、戦後の復興事業と区画整理事業によりその中心部は大きく姿を変えてしまいました。車社会の到来は、道路の拡張や新設により田園風景を変えています。上流に作られたダムや取水堰により水量が減少した相模川には、広い河川敷ができました。その河川敷には駐車場やスポーツ広場が作られています。生活の一部として利用されていた緑豊かな丘陵地は、大規模に造成され、宅地化していきました。この二、三十年の間に、私たちの身の周りは海で、山で、川で、街でそして田園で大きく変りました。今後もそうした変化を見守り、失ってはならないものを大切にしていかなければなりません。

昭和 15年の平塚海岸

昭和 49年の日向岡

平成 9年の平塚海岸

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