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相模川の生い立ちを探る会 第214回 2010年7月 「平塚市に残る関東大震災の跡」

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「相模川の生い立ちを探る会」 活動の記録

第214回 2010年7月31日 平塚市南部



■ テーマ:平塚市に残る関東大震災の跡
■ コース:平塚市馬入橋~三嶋神社~長楽寺

 今回は平塚市内に残る1923 年大正関東地震の傷跡巡りをしました。最初に、平塚駅から15 分ほど東の国道1 号線馬入橋のたもとに据えられた陸軍架橋記念碑を見学しました。震災で倒壊した鉄橋を当時の陸軍第十五・十六師団所属工兵大隊が緊急に修復した記念として建てられた石碑です。碑の石材は稲井石という宮城県石巻産の三畳紀の粘板岩で、堆積構造と直交方向のスレート劈開をもっているのが特徴と森先生から説明がありました。国道1 号線とJR 相模川鉄橋との間には大正関東地震で破壊された鉄橋の礎石があり、引き潮になると川の中に当時のレールの残骸がみられるということです。今回は干潮ではなかったのでみることができませんでした。
 次に10 分ほど南西に移動して、夕陽ヶ丘の三嶋神社を訪れました。ここでは大正関東地震によって倒壊した二の鳥居が大正十五年八月に修復された状況、当時の池が地震時の隆起で枯れた跡、弁天社の祠が傾いてしまった状況などを確認しました。
 さらに神社から南東へ10 分ほど移動して、札場町にある長楽寺を訪れました。この寺には大震災殃死者75名の供養塔がありました。供養塔の石材は1 cm大の斜長石を多数含む玄武岩で作られていました。本堂再建中の工事現場では普段みることのできない、平野を作っている海浜砂層が厚さ1 mほどあらわれていました。相模川の砂利はなく、昔は海浜であったことが伺えました。今回は大正関東地震跡をめぐり、防災意識を再確認した巡検でした。(K. Y. )

稲井石で作られた陸軍架橋記念碑 稲井石は堆積構造と直交方向の劈開を有する
▲稲井石で作られた陸軍架橋記念碑(馬入橋右岸) 稲井石には堆積構造と直交方向の劈開を有する(馬入橋右岸)
大正関東地震で破壊された鉄橋の礎石 相模川の中に残る震災前の鉄道の礎石
▲大正関東地震で破壊された鉄橋の礎石(馬入橋右岸) ▲相模川の中に残る震災前の鉄道の礎石を見る。引き潮時にはレールの残骸が見られる(馬入橋右岸)
大正関東地震で倒壊した三嶋神社の二の鳥居 一の鳥居と二の鳥居の間には池があったといわれる
▲大正関東地震で倒壊した二の鳥居。大正十五年に修復(夕陽ヶ丘 三嶋神社) ▲一の鳥居と二の鳥居の間には池があったといわれる(夕陽ヶ丘 三嶋神社)
大正関東地震で傾いたが、現在は修復されている弁天道 大震災殃死者をまつる長楽寺の供養塔
▲大正関東地震で傾いたが、現在は修復されている弁天社(夕陽ヶ丘 三嶋神社) ▲大震災殃死者をまつる長楽寺の供養塔 (札場町 長楽寺)
供養との石材は斜長石を多く含む玄武岩で作られている 再建中の本堂工事現場。海浜砂層が現れ、かっての海浜であったことがわかる
▲供養塔の石材は斜長石を多く含む玄武岩で作られている(札場町 長楽寺) ▲再建中の本堂工事現場。海浜砂層が現れ、かつて海浜であったことがわかる(札場町長楽寺)


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