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望遠鏡が見たもの

火星大接近 2003 (火星観測史)

望遠鏡が見たもの

平成15年秋季特別展図録 平成15年10月発行

 1609年、イタリアのガリレオ・ガリレイは、望遠鏡という道具を用いて天体を観測し、さまざまな発見をしました。彼は地動説を支持したため宗教裁判にかけられ、自説の撤回を強要されます。しかし、その後徐々に明らかになる新事実をふまえ、地動説はその地位を確かなものにして行きました。
 望遠鏡は惑星観測に新しい視点をもたらしました。それまでは、肉眼で見られるもの、つまり惑星の位置の変化をどのように解釈し、説明するかということが天文学者の主たる仕事だったのが、その惑星がどのような星かという点に目が向けられるようになります。1659年にはオランダのホイヘンスが火星の暗色模様の回帰から自転周期を測定しようとします。カッシーニは1666年に24時間40分という、現在用いられる値にかなり近い数字をはじき出しています。また、極冠や、それが自転軸に対し偏りをもつことなどもこのころ発見されています。
 望遠鏡の技術は、18世紀になると金属鏡を用いた大型反射望遠鏡が主流となり、その代表格がイギリスのウィリアム・ハーシェルでした。彼は火星の自転軸の傾きを推定したり、火星による星の掩蔽という現象を利用して火星大気を観測し、それが極めて薄いものであるなどと述べました。また、火星の暗部は海洋であると考えました。

ホイヘンスのスケッチ

ホイヘンスの空中望遠鏡
「筒」のないレンズだけの望遠鏡。当時の技術では、レンズを大きくするには焦点距離を長くしなければならなかった。
火星を記録した望遠鏡は長さ7mほどの長大な望遠鏡だったという。下はさらに後の大きなもの。(王立天文協会)


W.ハーシェルの反射望遠鏡
(王立天文協会)


スキャパレリのスケッチ
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