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2攻撃機の飛行計画

特別展 44万7,716本の軌跡−平塚の空襲と戦災− (4 平塚大空襲−準備された空襲−)

2.攻撃機の飛行計画


 平塚を空襲した米軍は、グアム島の北飛行場を基地とする第314航空団に所属するB29爆撃機4隊133機(実際は132機)が実施しています。攻撃機の飛行計画は、硫黄島を経由し、島づたいにレーダー飛行により平塚に接近します。飛行計画の第1目標は、大島北端の岬(風早崎)で、この岬が、爆撃コースの攻撃始点でIP(Initia1 Point of Attack)と呼びます。このIPから攻撃目標に向かう方位は、常に真北から時計まわりに360度未満の角度で表示します。これを目標に対する攻撃軸といいます。平塚の目標攻撃軸は359度であったことがわかっています。したがって、B29は平塚の空襲にあたって、相模湾をほぼ真南方向から平塚に進入したことになります。ただし、平塚空襲参加機は、夜間空襲であるため編隊を組んではいません。したがって、空襲参加機132機は、それぞれ作戦計画にもとづき基本的には単独で飛行し、目標地点に到達し、目標に対して単独で爆撃を行っていました。平塚攻撃に参加した機数すべてが平塚攻撃にあたり真南から平塚に進入したかといえば、必ずしもそうではなく、西側、「高麗山方向から進入した攻撃機もあった」との証言を得られるのは編隊を組まず、単独飛行・単独爆撃を行っていることから生じることでした。
 平塚市街を爆撃するための市街中心目標をMPI(Main Point of Impact)と呼びます。この平塚市街のMPIは、"A point near the center of the city"とあり、昭和20年5月の上述した航空写真に、このMPIが示されていました。それによれば、旧東海道「飯島百貨店」付近に、このMPIが設定されていたと考えられます。爆撃機は、市街地に爆弾を投下したあと、城島付近で左に旋回、秦野上空を通過後、さらに松田付近で再び左に旋回、伊豆半島上空を縦断して石廊崎付近で海上に出て硫黄島を経由してグアムの基地に帰還するコースをたどります。






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