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1平塚空襲の実態

特別展 44万7,716本の軌跡−平塚の空襲と戦災− (4 平塚大空襲−準備された空襲−)

1.平塚空襲の実態


 昭和20年7月16日の平塚空襲は、昭和20年6月17日より開始される中小都市に対する空襲の第9回目にあたります。当時、米軍は日本本土空襲にあたり一夜に4都市同時の空襲を実施しています。したがって、7月16日には平塚の他、大分、桑名、沼津が攻撃対象となっていました。
 米軍が以上の四都市を選んだ理由は、それぞれ四都市が小工業地区であること、特に平塚については、先の理由の他、目標としての平塚の重要性とレーダー条件等により選んだとあります。
 米軍は、昭和19年12月13日や昭和20年2月11日の段階で、平塚市を含む周辺地区の詳細な航空写真を偵察飛行により入手しており、その航空写真を利用して、昭和20年4・5月段階で海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、相模川鉄橋、相模海軍工廠等に、それぞれTarget Numberを付し、各工場敷地を線引きし確定していました。特に、4月23日には日本国際航空工業、5月20日には海軍火薬廠について、それぞれ建物一つ一つに番号を付し、例えば海軍火薬廠は、廠内をA,B,Cの三区域に分け、区域"A"は当該建物を1〜119、区域"B"は当該建物を120〜275、区域"C"は当該建物を276〜308とし、1はOffices、2はUnidentified(未確認)、3はoffices、4〜9はUnidentified、10〜11はShops(作業所)、12〜24はUnidentified、25〜33はPossib1e Storage(貯蔵庫の可能性)という具合に、火薬廠内308の建物すべてに番号を付して、それぞれの建物に説明を加えています。そして、区域"A"の中では、機械工場群(51〜54)が、火薬蔽のなかでの最重要生産施設であり、2番目に重要なものは工場群(93〜111)、発電所(55)、鍛冶場(37)であるとしています。そして、これらの建物及び建物内部を破壊できれば、区域内のほかの建物を破壊する以上に、火薬廠の生産削減につなげることが出来るとしていました。また、区域"B"地区での第1目標は、二トログリセリン製造施設及びその関連施設(235〜242、247、269、273〜275、270〜272)であり、第2目標群は、黒色火薬製造のための施設(209〜217)が攻撃の対象とされています。区域"C"では、第1目標となるべき施設はなく、第2目標として、爆薬庫(292〜295)と電管と信管の貯蔵に使用されているもの(281〜291)があるとしています。そして区域"A""B"が火薬廠の中でも重要地域であり、そこにある施設を破壊するために、破壊の程度をパーセンテージで示し、そのために必要な爆弾・焼夷弾の種類と量を算定し、攻撃の基礎としていることが知られます。さらに、区域"A"の第1・2目標に最大の損害を与えるために、中・高高度からの攻撃(B29による)による投下弾の標準は、建物番号51付近の建物とするとし、低高度からの攻撃(戦闘機、戦闘爆撃機)では、区域"A"の第1・2目標以外の建物は、特定の攻撃に値するほど重要では無いため、この第1・2目標の攻撃だけ止めるとしていました。したがって、実
際の空襲では、この建物付近しか攻撃されず、損害はこの建物付近に限られていました。そして、こうした攻撃の詳しい計画は、既に昭和20年4月30日から5月3日にかけ完了しているのでした。






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