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5平塚の防御体制及び迎撃

特別展 44万7,716本の軌跡−平塚の空襲と戦災− (4 平塚大空襲−準備された空襲−)

5.平塚の防御体制及び迎撃


 当時の米軍は、偵察飛行及びレーダー写真等による優れた情報活動により、空襲を行う地区に対し、空襲前の偵察飛行により、初認陸地、爆撃開始地点や目標を鮮明にとらえた写真を持ち帰っています。と同時に、ほぼ完全に日本側の防御体制を把握していました。その結果、平塚地区は、比較的強固な73基の重砲、118基の中型砲で固められていたこと。探照灯は、これに対し6基しか装備されていないこと。したがって、作戦計画高度3,300〜3,660メートルでは、中型砲では、ほとんど被害はないと想定していました。実際の爆撃にあたり日本側からは、まず、大島方面より精度の悪い中程度の対空砲火があったと報告されています。また、小田原近くから、かなりの砲撃がありましたが精度悪く効果なしと報告されています。さらに、平塚上空ではかなりの対空砲火の存在を確認しますが、これも精度悪く効果なしと報告されていました。探照灯の点灯は、2〜4基が確認されています。また、目標地区からの退避時に敵の砲火は全くなく、味方機の損害は無かったとしています。
 このように、日本側からのある程度の反撃を認めていましたが、その精度については、劣悪で全く効果の無かったことを伝えています。また、航空機による迎撃については、次のように報告しています。平塚上空で、22機の迎撃機に遭遇します。そのうち1機は、海上31キロまで追撃したとあります。また、戦闘機は確認できなかったが、B29の近くで曳光弾の炸裂があり、敵戦闘機の先端のライト(敵・味方の識別合図)の行動があったと、報告するB29もありました。また、目標上空では(日本側の)パラシュート照明弾数発を確認しています。この証明弾は、3,600メートルで発火し、浮遊しながらゆっくり落下したとの別の報告もありました。






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