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_神輿の担ぎ手

平塚のお祭り −その伝統と創造− (I)

 神輿の担ぎ手

平成17年夏期特別展図録 平成17年7月発行

 神輿は氏子が担ぐものだった。よそ者が担ぐと喧嘩になることもあった。ただし好きな者は親戚や知り合いを通して半纏を借り、三之宮比々多神社や茅ヶ崎浜降祭の神輿を担ぐこともあった。
 神輿の正式な担ぎ手を白丁と呼び、白丁着を着て担いだ。田村では白丁は33名に定められていて、所帯を持ったばかりの若い人が白丁をつとめた。昔は長男で品の良い人しか白丁になれなかったという。神輿は白丁が中心になり、他の若い衆も加わって担いだ。田村と大神は今も宮出しのときは白丁が担ぐ。
 昭和40年代に神輿渡御が下火になった原因のひとつは担ぎ手の不足である。これを解消するために、昭和50年頃から各地で神輿会や神輿保存会を発足し、神輿会同士が交流して担ぐようになった。現在、市内で神輿渡御を行う26社のうち外部の友好団体を交えて担ぐのは24社で、氏子だけで担ぐのは真土神社と中吉沢八坂神社の2社である。南金目神社の青柳神輿も地元の青柳と坪之内の者で担ぐ。また、根坂間八坂神社も17年度から氏子だけで担ぐように戻した。付き合いに出るのが大変になったためだが、人数が少ないので、台車に乗せる距離が長くなったという。
 真土神社は、友好団体と交流していた時期もあったが、トラブルが起きたために氏子だけで担ぐようにしたという。ただし個人的な助っ人は認めており、希望者は真土神社の半纏を借りて担ぐ。また、こうした助っ人がいないと、氏子だけではなかなか人が集まらず担ぐのが大変という実情もある。純粋に地元だけで担いでいるのは、中吉沢の八坂神社である。少人数で重そうに担ぐが、祭りのあるべき姿をとどめているともいえる。
 友好団体へは事前に通知して担ぎに来てもらう。相手の祭りにも担ぎに行く。こうして互いに力を交換し合う。つきあいの広い団体や、好きな者は年間10日以上も神輿を担ぐのであり、シーズンには毎週のように神輿を担ぐ。ときには肩に大きなコブを作っている人も見かける。今の神輿は、担ぎ慣れた人でないと足並みが揃わず、素人がいきなり入ってもうまく担げない。
 友好団体の参加が多い祭りは、中原日枝神社の36団体、須賀三嶋神社の29団体、片岡神社と南金目神社川前の21団体などで、これらの神輿保存会は方々の祭りへ担ぎに行く。
 友好団体は、神社に所属していない同好会も多い。よく担ぎに来る同好会を挙げると、一真会、同楽会、瓢箪睦、神谷会、大隅睦、愛興睦、湘南龍王睦、舞鯉会、誠神会、平塚帝会、平塚音羽会などがある。
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