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_神輿の製作者

平塚のお祭り −その伝統と創造− (I)

 神輿の製作者


 古い神輿は製作年と製作者が不明のものが多い。作者が判明している神輿では、関東一の宮大工とうたわれた大山の手中明王太郎の手になるものが多い。代々明王太郎を世襲した中で、幕末から明治にかけて活動した明王太郎景元の作が最も多く、四之宮前鳥神社、大神寄木神社、四之宮八坂神社、横内御霊神社の4基が残されている。寺田縄日枝神社も明王太郎の製作とされる。これらの神輿は相模の名神輿に数えられている。中原日枝神社神輿も明王太郎」の作と伝えるが詳らかでない。
 二宮町二宮の梅沢流胴宮師である西山久夫氏も三基を手がけている。明王太郎の系譜が絶えた今、唯一相州神輿の伝統を引き継いでいるのが梅沢流である。上平塚八雲神社の神輿も梅沢流といわれる。
 愛川町半原の宮大工・矢内稲雄氏による神輿が二基ある。矢内家は、田村八坂神社の社殿や、焼失した須賀北町の屋台なども建造している。
 このように、戦前までの神輿で作者が判明しているものは、大山、梅沢、半原の宮大工である。
 昭和50年以降は、神輿ブームに乗り、手作り神輿が盛んに製作されるようになった。錺金物を浅草などから仕入れ、地元の大工が中心になって製作した。今も北金目中久保で新神輿が製作されており、18年の例祭にお披露目されるという。
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