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_麦振舞神事の歴史

平塚のお祭り −その伝統と創造− (I)

 麦振舞神事の歴史

平成17年夏期特別展図録 平成17年7月発行

 麦振舞神事は、『新編相模國風土記稿』にも記されている。今泉義廣「前鳥神社私考」によれば、「新編相模國風土記稿百二十六巻中、只一つ挙げられている祭事食(行事食)でもある」という。
 「例祭五月五日、淘綾郡國府本郷村、神揃山へ渡輿あり」「當社神輿供奉の者に、四月晦日、米一升を椀に盛、芋の葉の汁、干らいふく蕃椒をあへものとして饗す、是を麦振舞と称せり」(『新編相模國風土記稿』)
 この記述によれば、前鳥神社の例祭は国府祭であり、麦振舞神事は国府祭の一環の神事だったことになる。また4月晦日に麦振舞神事を行ったということは、当時は国府祭の期間が一週間近く続いたことを示唆する。
 「前鳥神社祭事私考」に「口伝に依ると麦振舞は本来、往古本宮祭(旧暦9月28日)の神輿供奉の者達に饗するご馳走で、大住郡内四之宮、真土、田村、長沼の各村に及ぶ広域な神領内神輿渡御に加わる、供奉者仕丁達の体力を養う「力飯」であって、これが旧暦五月五日に斎行される国府祭に参加する神輿渡御に採り入れられ、麦秋の季節に因んで麦振舞の行事食となったと言うが判然としない」とあり、口伝では元来例大祭の神事であったとしている。
 献立は、「米一升を椀に盛」というのが強飯である。国府祭と例大祭で若干異なり、国府祭では強飯に大豆を混入している。副食の「芋の葉の汁」は「前鳥神社私考」によれば、「前鳥祭事に芋の葉の汁を食用として使った形跡はない。これは、里芋の干茎が混同されて風土記に記載されたものと思われる」としている。「干らいふく蕃椒」は「前鳥神社私考」によれば、「干らいふく」は干大根、「蕃椒」は唐辛子で、現状と同様である。ただし干大根は国府祭で用い、例大祭は生の大根を用いる。煮汁も、国府祭では大根を里芋の干茎の汁で煮て、例大祭は里芋等の汁で煮るという違いがあるという。
 このように国府祭と例大祭の献立に若干の相違が見られることについて、今泉氏は「本宮祭は生鮮食品で国府祭は乾燥食品を主体としている」と指摘し、「神饌共食であるとすれば、神に捧げるものとして、時季に獲れた物でなければならないはずである。よって麦振舞の材料は本宮祭に献遷された秋の収穫物であり、祭事食として必要な里芋の葉、大根を乾燥保存して麦秋の国府祭に用いたものと考えられる」としている。現在は、例大祭も国府際も同様に作る。どちらも大豆を混ぜた強飯を2升炊く。大根はどちらも生で、塩と砂糖少々で味付けする。
 いずれにしても、相模で唯一『新編相模國風土記稿』に記された祭事食が健在なのが頼もしい。神輿へ供えたものをおろして白丁が食べ、神と同じものを食べて、神の恵みを体の中に採り入れて力づけとする大切な神事である。
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