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_村の鎮守

平塚のお祭り −その伝統と創造− (I)

 村の鎮守

平成17年夏期特別展図録 平成17年7月発行

 特別展では、平塚市内58神社の例大祭を取り上げる。58社の内訳は、近世村の鎮守社が最も多い。江戸時代の平塚は一村で一鎮守を祀る村が多いが、複数村で一社を祀る例や、逆に一村が二つに分かれて別々の鎮守を祀る場合もあった。複数村で一社を祀るのは、岡崎神社の旧岡崎郷七村、豊田地区の豊八幡神社五村、平塚八幡宮の一宿二村、中原日枝神社の二宿で、いずれも氏子範囲の広い神社である。四之宮前鳥神社はかつて旧前鳥郷の総鎮守であり、横内の御霊神社は中世には田村、大神、吉際、戸田の総鎮守であったと伝えられている。八幡と馬入は総鎮守が平塚八幡宮であるが、小鎮守としてそれぞれ八坂神社と神明神社を祀る。
 一村が分割して複数の鎮守を祀るのは、平塚宿の春日神社と八雲神社、真土の諏訪社と白山社、田村の八坂神社と御霊神社、山下の八幡神社と若宮八幡神社などがある。平塚宿は大半が春日神社の氏子だが、上平塚は単独で八雲神社を祀る。真土は、明治3年に白山社へ諏訪社を合併して真土神社と改称し、現在は真土全体で一社を祀る。田村は、田村と横内それぞれの鎮守である。山下は上山下と下山下に分かれるが、元は山下全体で一社だったという。
 以上のように、数か村で一社を祀っていたり、一村が分割して二社を祀ったりと、行政区分とは必ずしも一致しないが、いずれも鎮守社であることに変わりはなく、これらが46社となる。現平塚市は近世には54宿村に分かれており、宿村数よりも鎮守の数がやや下回る結果となった。
 鎮守社の旧社名を見ていくと、最も多いのが八幡社・八幡宮(若宮八幡社含む)の8社で、平野部に分布している。次いで牛頭天王社の7社で、相模川と金目川に面した村で祀る傾向がみられる。熊野社の5社は西部丘陵地に多い。山王社、雷電社、八剣明神社が3社で、神明社が2社、その他が15社である。
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