わたしたちは「相模川流域の自然と文化」をテーマに活動している地域博物館です

黒部宮社号塔

平塚・石仏めぐり-旧市内編- (4・旧平塚宿)

黒部宮社号塔


黒部丘にある黒部宮は、平塚宿の鎮守の春日神社の元宮と伝えられています。黒部宮の参道に建立されている社号塔にもこのことがはっきり彫られています。社号塔は平塚観光協会によって近年建てられたもですが、このようなものも地域の歴史や民俗を考える手がかりにしてください。
社号塔には、「春日神社元宮 黒部宮 此柱は春日神社古華表也昭和三十二年八月 平塚観光協会 建立寄付米山一郎 源頼朝公夫人安産祈願之處 文政五戊辰正月吉日 氏子中」とあり、続いて12人の名前と2人の石工(1人は当所、もう1人は岩村)の名前があります。文政5年以降は華表(鳥居のこと)の銘文で、他は昭和32一年に彫られた銘文です。
江戸時代末に編まれた『新編相模国風土記稿』には、春日神社は「宿の鎮守なり、神躰木像、往古は黒部宮と号す、建久二年源頼朝馬入川橋供養の為、当社勧請ありし由縁起に見えたつ、三年八月頼朝婦人、平産の祈願として神馬を納めらる、例祭六月十五日隔年に神輿を海辺に渡し旧社地にて神事あり、古は社地東海道往環より六七町海岸の方、字十軒坂にあり、後今の地に移れり、旧地に稲荷の小祠あり」と記されています。
黒部宮と春日神社の関係は、この記載でわかります。春日神社はもとは字十軒坂にあって黒部宮といい、祭りには隔年に神輿を海辺に出し、旧社地で神事をおこなったというわけです。黒部宮の所から現在地に移った理由は書かれていませんが、伝承では大津波で社殿が流失したためといわれています。
お祭りは「六月十五日」とありますが、現在は8月1日におこなわれています。神輿の渡御は浜降りといわれ、黒部宮の所で赤飯と甘酒が神前に供えられ、祭事が終わると若者たちが赤飯と甘酒を腕
づくで奪い合い、まわりの人たちはこの若者たちをめがけて砂を浴びせかけたといわれています。
なお、『新編相模国風土記稿』にある「旧地に稲荷の小祠」というのは現在もあります。

P68

P69




ページの先頭へ