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旧平塚宿

平塚・石仏めぐり-旧市内編- (4・旧平塚宿)

旧平塚宿


旧平塚宿というのは、現在の平塚一丁目・二丁目・三丁目・四丁目・五丁目、中里、桜ヶ丘、上平塚、達上ヶ丘、諏訪町、富士見町、豊原町、唐ヶ原、撫子原、黒部丘、花水台、虹ヶ浜、董平、桃浜町、龍上ヶ丘全域と立野町、追分、大原、見附町、錦町、八重咲町、松風町、袖ヶ浜のそれぞれの一部の範囲です。平塚市の西南部の地区で、明治22年には平塚新宿と合併して平塚町となり、昭和4年に須馬町と合併し、同7年に市制をひいて平塚市となりました。
江戸時代には本陣、脇本陣、問屋場などがおかれ、旅籠屋や湯屋などがありました。『新編相模国風土記稿』によれば、江戸時代末の戸数は289戸ですが、早くから市街地化が進み、住宅、会社、工場、商店が密集しています。
関東大震災や戦災を受け、近年には区画整理事業も行われ、宿駅としての面影はほとんどありませんが、古くからの集落は、この地区の西北端の上平塚と東海道沿いにあっただけでした。東海道の宿駅の一つといっても、おおよそ太平洋戦争前までは畑や水田、御林(「中原御林」の一部)が広がっていて、農家も多くありました。また、漁業に携わる家もあり、地曳網の網元などもありました。
東海道沿いの集落は、西から柳町、西仲町、東仲町、二十四軒町、十八軒町に分かれ、この区分は現在も神社祭祀などにいきています。ただし、二十四軒町は新宿から移った家で、新宿分になっています。
この地区内には多くの社寺があり、石仏も周辺農村部に比べて多数残されているのが特色です。社寺には平塚宿鎮守の春日神社、黒部宮、八王子神社、浜嶽神社、八雲神社(上平塚鎮守)、諏訪部神社、北野天神杜、大鷲神社などや阿弥陀寺(浄土宗)、宝積院(天台宗)、薬師院(真言宗)、宝善院(真言宗)、法要寺(日蓮宗)、妙安寺(日蓬宗)、教善寺(時宗)があります。

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