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入野

平塚の道祖神 (金田地区)

入野


入野31八坂神社境内
道路拡張工事に伴い、道祖神は昭和45年頃すべて鎮守八坂神社境内に集められた。入野は田中町、東町、川崎町、仲町、向町、西町に分かれ、このうち西町を除く各町内で道祖神を祀っていた。 西町に道祖神がない理由は次の通りである。低地による出水に悩まされてきた川崎町の人が移住してできたのが西町で、西町の人はもとの川崎町の道祖神を祀っていたからである。 セエトバライは、八坂神社境内と金目川河川敷の二ヶ所で行っている。 なお、入野ではセエトバライのとき、年長の子をフルデンカ、その下をテンカシタと呼び、高等小二年生はフルデンカといって賽銭の分け前をいちばん多く取った。 子供たちは、賽銭を集めてまわるときに、「疱瘡も軽く、ハシカも軽く、悪魔祓い」などと言って祓って歩いた。

八坂神社に集められた入野の道祖神

田中町の安政4年(1857)文字塔
安政2年10月の大地震で倒れた鳥居柱の貫穴部を利用した道祖神ではないだろうか。 もしそうなら、この道祖神はもとから八坂神社境内にあったので、同神社の鳥居であったかもしれない。
<形>円柱 <材>安山岩57×直径30 <銘>(右)安政四丁巳年十月上旬<銘>(正)道祖神

川崎町嘉永6年1853 文字塔 左 仲町大正11年1922 文字塔 右
●川崎町の道祖神:旧位置は入野195-1西の路傍。
<形>自然石 <材>安山岩 <寸>68×51×37 <銘>(正)道祖神 (左)嘉永六年癸丑 正月吉日氏子中 
●仲町の道祖神:入野167南の辻より移動。かつて、道祖神は道のど真ん中に立っていた欅の木の元に鎮座していた。 往事、金目川から鈴川へ流れる水路がこのあたりを流れており、この欅に舟を繋いでいたという。
<形>櫛型 <材>凝灰岩 <寸>38×28×18 <銘>大正拾壱年 道祖神 六月四日 (左)金田村入野 江原荘之助

東町の大正12年(1923)文字塔(中央の最も大きな石塔)
旧位置は福田寺南の辻(入野190北の路傍)。
<形>自然石 <材>安山岩 <寸>90×42×40 <銘>(正)道祖神 (左)大正拾二年一月十四日 東町氏子中

向町の明治30年(1897)地神塔
地神塔を道祖神として祀る唯一の例。しかし向町では地神講の伝承は聞かれない。旧位置は入野251-1の辻。
<形>自然石 <材>安山岩 <寸>76×45×18 <銘>(右)明治卅年建(正)堅牢地神

セエトバライの小屋作り(昭和50年)
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