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諏訪前B遺跡

平塚の遺跡

諏訪前B遺跡

すわまえBいせき

最終更新 1998年5月

四之宮字諏訪前に所在し、砂州・砂丘から砂丘間凹地に立地しています。現在まで5地点調査が行なわれています。第1地点は掘立柱建物址1棟、溝状遺構23条が検出され、ています。溝状遺構は東西や南北に延びるものが多く見られ、1〜4号溝状遺構は規模が大きく、10世紀代に比定されるものと考えます。「僅かな凹地がこのように集落空間以外の目的で位置づけられることは、相模国府の所在を考える上で重要性をしめる」とその特質を指摘しています。第2地点は第1地点の南西約50mに位置し、検出した遺構の主体は溝状遺構51基です。凹地に立地し、溝主体であることから第1地点との関連が強いところです。基本的に凹地に立地する溝状遺構の性格は農耕に関連した潅漑施設と理解していますので、第1・2地点は国府域の中にあっては生産空間の領域に入るものと考えます。その具体的性格は分かりません。第3地点は住居址26軒が検出されています。7世紀後半から10世紀後半のものであるが、主体をなすのは8世紀前半の12基です。遺物では転用硯や刀子が比較的多く出土しています。この点から「相模国府関連の下級官吏即ち刀筆の吏の生活の場の可能性が強い」と報告されています。第4地点は8世紀前半の掘立柱建物址1棟、10世紀後半の住居址1軒と8世紀と10世紀の溝状遺構4条が検出されています。遺物では墨書土「正」が出土しています。第5地点は23条の溝状遺構が検出され、8世紀代が5条、10世紀代が18条となり、生産空間の場となっています。本遺跡は第3地点を除く4地点は接近し、砂丘間凹地に立地し、溝状遺構が多く検出されたことが特徴です。金目川に解析する「谷川」の最奥部にあたる本遺跡は丁度国府域を南北に分断するような状況を呈していますので、単に生産空間の場として捉えるのが正しいかは検討の余地がありそうです。

諏訪前B遺跡_全体写真

諏訪前B遺跡_溝状遺構群

諏訪前B遺跡_1号溝状遺構

諏訪前B遺跡_1号溝状遺構出土須恵器平瓶と馬歯


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