わたしたちは「相模川流域の自然と文化」をテーマに活動している地域博物館です

坪ノ内遺跡

平塚の遺跡

坪ノ内遺跡

つぼのうちいせき


四之宮字坪ノ内に所在し、砂州・砂丘から自然堤防に立地しています。現在まで5地点の調査が行なわれており、報告は第1〜4地点までです。第1地点では2軒の住居址を確認し、1軒が10世紀後半の所産です。第2地点は3棟の掘立柱建物址と7軒の住居址を検出しました。1号掘立柱建物址は桁行4間・梁行2間の東西棟で、柱間寸法2m。2号掘立柱建物址は桁行3間以上・梁行2間の東西棟で、柱間寸法2、4m。3号掘立柱建物址は桁行4間・梁行2間の南北棟で、柱間寸法2、3〜2、4m。これら3棟の掘り方は1mを越え、特に1号は1、50〜2、26mと大きいこのです。平面形態でも官衙特有の長方形や方形をとっています。3棟の掘立柱建物址は8世紀前半です。住居址は1軒以外は9世紀以降のもので、8世紀と9世紀では遺構の様相が異なります。墨書土器、刻線土器、毛抜が出土しています。第3地点では第2地点とその様相は一変し、7世紀末と9世紀頃の溝状遺構が主体となります。注目されるのは弥生中期の方形周溝墓が確認されたことです。沖積低地で検出された最古のものであり、大原遺跡の弥生中期の住居址の検出から、低地での集落が徐々にではあるが開始されたことを物語るものです。その意味の於いては、本市の歴史過程における一頁を飾るものです。第4地点は8世紀後半〜9世紀の掘立柱建物址3棟と住居址6軒が確認されました。掘立柱建物址は規模や平面形態の点から、第2地点のものとは異なるものと判断しますが、3号掘立柱建物址の桁行3間・梁行2間の南北棟の総柱に東と西に廂が付くものは特異な存在と考えます。本遺跡は第2地点の掘立柱建物址が示すように、その規模や掘り方平面形態から、官衙施設の一角であり、国府域の東端を示すものです。現に平成5年の第5地点(第2地点の南側約50m)の調査では、9世紀後半の桁行6間・梁行4間の総柱の東西棟の掘立柱建物址が確認されました。柱間寸法2、4〜2、7m、柱穴は長方形から方形の一辺2m・深さ1、30mの規模を持ち、掘り方から根固め石や礎石と思われる礫が出土するなど従来の調査では見られなかったものが検出されています。また、その掘り方から硯、緑釉陶器や星形鋲が出土しており、国府の中にあっては重要な機能を担った施設の一部と考えます。

坪の内遺跡_上空から見た坪の内遺跡

坪の内遺跡_連房式鍜冶工房址

坪の内遺跡_総柱建物址

坪の内遺跡_弥生中期の壺


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